フクロライオン2

フェミニストゲーマーのテキスト

格ゲー勢が差別をすることは文化ではない。

先日のマゴとアールの差別とそれを受けての処分について、

"格ゲー勢の煽りは文化だから外野にどうこう言われたくない"

という趣旨のツイートがいくつか目に入ったので、それが誤りであるというテキストを書く。
勢いで書くけれど、誤字脱字、冗長、脱線、重複、ガバい構成は許してくれ。
センシティブな本旨に対して勢いで書くということが不誠実なのは理解してるけれど、
最近全くテキストを書いていないという手前勝手な理由でこういう形にしました。

格ゲーコミュニティに帰属意識はあるけど、その周縁にいます。
なので、今回のテキストも、ブロツキーが個人として責任を負うものです。
俺のテキストが何らかの属性を持つ人を、矮小化、透明化、周縁化したら、それは俺の無知と軽率さのためです。
拡散は歓迎しますが、一方でバズることは想定していません。
よってクソリプ等に用意が無いため、非公開、鍵垢になる可能性があります。
万が一非公開となり、それでも読みたいという人がいた場合は、
ツイッチとマストドンツイッターのリンクを貼っておくので、リクエストなど送ってもらえたら対応します。

https://www.twitch.tv/blotzky_roar
https://fedibird.com/@blotzky
https://twitter.com/blotzky_roa

あらゆる属性を持つ人にとり安全な場所を目指します。

 


要旨は2点。

1. 今回の障害者を揶揄する発言は差別であり、煽り文化としての側面から論じる余地は無い。

2. 極端なエピソードを過度に一般化してゲーセンや格ゲーから新規を遠ざけてはいけない。

3. 謝罪文に御不快構文を用いるのは誤り。

4. 公開されている配信は、内輪の空気が出来上がっている地元の常連だらけのゲーセンではない。様々な属性を持った人や、その友人や家族等、あらゆる人が訪れる場所であり、要求される"公"としての度合いは強い。またこれはインナーサークルであればどんな発言や行いであっても許されるという意味ではない。
 あとゲーセンとか部室の空気が味わいたいならディスコードの使用をすすめる。だからといってそこで差別をしろって意味ではない。アメリカで差別発言をすっぱ抜かれた政治家が「ロッカールームトークだ」と言い逃れしたら、スポーツ選手に「我々がロッカールームで差別しているという扱いを受けるいわれはない」と批判されていた。全くその通りで、クローズドな場所であるから許されるものではない。そして何より、差別について学ぶことは、自分にとって身近な存在を傷つけないためにも、また傷ついた時の寄り添い方を誤らないためにも必要である。

5. スキャンダル耐久値の性差が如実に表れている。たぬかなの時は御行儀よくしてたクセに、マゴの話になると擁護に奔走するセクシストが可視化されている。非難する上で適切な言葉が見つからないが、カワノもマゴもアールもセーフでたぬかなだけアウトであることに疑問を持っている人がいれば、踏みとどまってほしい。
アールのアンチがアールをより厳しく罰せよというのもあった。これは自分の感情に正当性を付与したいという欲望の発露であり、差別により傷ついている人を透明化している。こうした被害者を無視した懲罰感情とまっとうな批判を混同してはいけないし、また利用してはいけない。


5点になった。5点で。いや4,5点目はもう言い終わったから3点で行きます。
見切り発車なので要点が混じって読みにくくなったらすまん。

 

1. まず、障害を揶揄するという差別を格ゲーの文化という側面から擁護するのは誤り。文化が時に差別を内包していることは往々にしてあるが、それが明らかとなれば人権を侵すことがないよう変化を促されるのは当然のことであるし、通常より飛躍した強い言葉を用いる遊びは普遍的な「文化」であり、格ゲー勢固有のものでは無い。つまり批判を受けているのは文化としての言葉遊びではなく、障害を揶揄するという差別なのである。
 そしてこの差別を文化であるとうそぶき温存しようとする態度もまた使い古しの言い逃れであり、それはゲーセンとゲーマーの信頼を損なうだけでなく、加害性を内包していたゲーセン文化に根差しながらも、必要な変化を志し前進しようとしている態度を矮小化する行為でもある。つまり味方を背中から撃つ行為に等しい。
 
 この場合の味方とはマゴやアールのことである。なぜならば、当人たちは自身の発言がコンプライアンス違反であると認め、非常に稚拙で形式的にも謝罪の体を為していないが、それでも一応謝罪らしきものを行っている(実際は謝罪風のナメプだが)。これに対して「文化だから」という擁護は、「謝る必要はない」という態度の表明であり、二次加害であり、当事者とのギャップを認知できていないということになる。こうした発言を、例えば配信のコメント欄に残したとすれば、マゴやアールがその尻拭いをする必要に迫られる。自分のケツすら拭けない情けない謝罪しかできていないのに。ゆえに背中を撃つのに等しい。
 
 ではプロが差別をしてしまった時、ファンに何ができるのか。同じコミュニティに属しながら被害者となった人に対して連帯を表明することはできる。また、直接の被害者でなくとも、応援していたプロの差別に失望し、傷つくこともある。その場合、その人もまた被害者であり、まずは自分を守ることを優先して欲しい。情報から遠ざかったり、いったん格ゲーから離れてもよい。あるいはそうした自分の傷を隠すために、正常性バイアスを働かせ、その一環として左記のような無理筋の擁護をしている可能性もある。しかしそれは二次加害に繋がる。してはいけない。

 次に「障害を揶揄することがなぜ差別になるのか」を説明すると、これは障害者やその周囲の人間の尊厳を傷つけるからというだけではない。障害を揶揄してよい属性であるという文脈を形成し共有することで、障害者への偏見が助長されるためだ。これは「憎悪のピラミッド」の下段に当たる行為となる。格ゲー勢であれば 「DJ使っていると脳に障害が出ちゃうのかな」というマゴの発言には、DJというキャラの性能に対する批判と、それを使用するプレイヤーに対する軽口以上の意味が無いことは知っているが、他意の無いそれこそがマイクロアグレッションであり、加害性を有するほどの無知は、プロに限らず許されるものではない。

 イジリがイジメに発展するように、冗談、噂、デマ、嘲笑、客体化といった行いが反芻されることにより偏見は助長され、放置をうければやがて激化し、中傷や嫌がらせは日常のものとなり、最終的にジェノサイドに及ぶ。特に障害者に対するヘイトクライムは日本の場合、相模原のやまゆり園事件がある。もちろんマゴやアールの発言が直接大量殺人の実行犯を生むものではないが、既に10人以上が殺害される障害者に対するヘイトクライムの起きている日本で、配信内で気安く障害を揶揄し差別すること、またそれが厳重注意で済むこと、それらについてファンダムが「煽り文化」「言葉狩り」などと言い換え擁護し、茶化したり大喜利を始めたりするのは、障害者差別に対する無知と軽視である。

 また自分の属性を揶揄されるという差別により、被害者は悪気ない偏見に対し説明するコスト(初対面カード等)、ラベリングに対するアイデンティティクライシス、そうしたマイクロアグレッションに常に削られ続け、揶揄されない人に比べて生活難度が高くなる。そうしたアンフェアな社会形成を助長してはいけない。

 

2. ゲーセンにおける格ゲー勢の差別発言はたくさん耳にしてきたし、俺も使ってきた。当時は凄く楽しかったので、自分のことを棚に上げやがってという批判に言い逃れはできないが、8,9年くらい前フェミニズムに触れてから変わってきた。
 もちろん気心知れた仲同士だから成立する毒っ気の楽しさは理解している。しかし、初対面の人間にいきなり差別を吐くようなゲーマーは俺の知る限りない。それでもめちゃくちゃな人はいて、でもそういう人ほどめちゃく面白い人だったりして、しかも散々楽しませてもらったので、俺はどうしてもこの点に関してはダブスタな面がある(それが楽しめたのは俺がマジョリティ属性だったからという理解があっても)。繰り返すが、それについて自分のしたことを棚に上げていると批判されれば反論ができない。しかし、そんなめちゃくちゃなゲーセンゲーマーであっても、配信という公開された空間においては言葉を選ぶ。選ぶのだ。
 オンラインとは、社会とダイレクトに接続し、匿名性を保ちながらも高い公共性を有する場所だ。そうした場で差別発言をすることは、ゲーセンゲーマーであってもアウトであるという認識を持っている。であればこそ、ファンがマゴやアールを擁護しようと「煽りは文化」などと無理筋な言説を展開するのは誤りだ。既に話した通り、強い言葉で煽りあうのは、内輪で楽しむ際に出る言葉だ。めちゃくちゃなゲーセンでめちゃくちゃな煽りをしてくる格ゲーマーも、初対面の時は俺にめちゃくちゃ丁寧に対応してくれたし、俺はもてなしてもらったという気持ちが強い。冒頭で周縁にいるといったけど、俺は結局ろくにゲーセンでゲームをしていない。ゲーセンコミュニティは新規だった俺に対して真摯な対応をしてくれたにも関らずだ。それに対して今でも感謝と後ろめたさがある。
 だからこそ、ゲーセンや格ゲーの一部を過度に誇張し、「煽りは文化」という、一面だけを切り取った言葉でマゴやアールの差別を擁護しようという態度が誤りだと、繰り返し言いたい。それは新規という貴重な存在を遠ざける。どんなコミュニティにも言えるがグラデーションが存在している。そうした時、プロの配信というのはコミュニティの中でも比較的安全な場所であるはずなのに、マゴもアールも何してんだよ。


3. 「不快に感じたことについて謝る」という御不快構文だが、これは自身の行いではなく、受け手の受け止め方の問題にしているので誤り。心配をしている人に対して謝るというのも誤り。自分の差別行為を認めずに受け手の感じ方の問題にして済まそうとするのが御不快構文の正体であり、そこに本当の意味での謝意は無い。差別をした人間は、自分の加害により人を傷つけたことに対して謝らなくてはならない。
 今回の場合、揶揄の対象とした障害者とその家族や友人を傷つけ、偏見を助長することで社会生活の難度を上げ、アンフェアな社会形成に加担するだけでなく、ヘイトクライムへの一歩を踏み出したことに対して謝罪しなくてはならない。つまり、自分が何をしたのかをまず謝罪文の冒頭で明示しなくてはならない。例えばマゴのツイートにもTOPANGAのツイートにも、具体的にどのような文脈でどのような発言をしたのか明記されていない。
 また、ファンに対する謝罪を行うとしても、不快だとか心配だとか受け手が感じたことに対してではなく、差別をし、人を傷つけ、信頼を裏切った、自らの行いを謝罪しなくてはならない。にも関らず、あんなみっともない謝罪風ナメプをTOPANGAが許したことも信じられない。まともな謝罪をレクチャーすることも、代筆してプロとしての体面を保たせることができる人材すらいない。
 こうした差別や謝罪風ナメプを批判された人間は、悪意の不在をもって免罪されようとすることがある。悪意の不在は個人の内心に関わることであり、問い詰めることはできない。だからこそ、内心はどうあれ、建前として申し分ない謝罪をしているかどうかが大事となる。謝罪の真偽は、言葉によってのみ判断する以外ない。であればこそ、謝罪文には最大限注力して隙のないテキストを構築する必要がある。
 繰り返すが、本音を確認する手段はこの世にないので、建前の建前としての確度を上げることによって、本音であるという誠意を示して、そうしてようやく謝罪したと言える。それを怠ると、差別をしたという自覚の有無、差別は許されないという認識の有無、差別をしたことに対する謝意、差別をしないための学習意欲等、赤子をあやすように問いただしていかなくてはならない。それが被害者にとりいかに多大な徒労となるか想像に難くない。であれば、これは単なる怠惰ではなく、「謝意は無い」という意思表明とみなし得る。つまり、御不快構文を用いたテキストは、何も謝っていないしと判断できる。
 本当に恥ずかしい限りの謝罪風ナメプだった。チャリティーカップを開けとか、障害があってもゲームをできるようアクセシビリティの高いコントローラーをプレゼントする企画しろとか求めていない。ハラの内でどう思っていようと、建前さえ守ることができれば0円で済む謝罪さえきちんとすれば、まだ望みはあった。それすら怠り、またそれをトンデモ擁護するファンがいるというのは、結構かなり、大変キツい。せめて、せめて謝り方を間違えなければ、それでもまだマゴのファンでいられた。クビになっても。
 しかし個人的な好意の有無は配信で障害者差別をした人間への処分に影響しない。また、ルッキズム発言によりクビになっている前例があるので、2人はクビに相当するというのがフェアなんではないのか。あ、でもそれを言うなら、カワノの前例に倣ってたぬかなも「気をつけろよ」で済ませるのが筋だったのかも。不祥事に性差があるのは全くアンフェアで信頼が失われるし、後々まで引きずることになる。