フクロライオン2

フェミニストゲーマーのテキスト

『ウツロマユ』批評

『ウツロマユ』批評

 

※12/26加筆分を末尾に追加。

 

 難度ノーマルクリア、エンディング4種、特殊ゲームオーバー2種確認済。

 快適さという面でインディーとは思えないゲームだった。操作性の良さと難度のバランスは『隻狼』ライクな優しさを持った現代のゲームだと言える。ホラー表現については特に滑稽さも感じられず、驚かすだけの演出もプレイ中は無かった(ムービーにはあった)。ただし、ハイドアンドシークジャンルにおいて鬼役である綾乃の定位を報せるSEについては雑。上下だけでなく、壁による音の減衰も感じられない。これ自体は攻略に有利に働く面もあるが、リアリティとしては一段落ちる。髪の毛のテクスチャが壁を貫通するのも同じく、ゲームの嘘が垣間見えてしまうのは残念。プレイヤーとしては攻略に有利な情報を見ぬフリはできないため、活用せざるを得ず、しかしそれがゲームをプレイしていることを強く意識させてしまう。対戦ゲームでない限り、ゲームプレイにおいて没入感は求められると考えているので、これは欠点だと言える。

 一方でセーブポイントセーフゾーン問題については、見事な解決があり新たな発見があった。例えば『バイオハザードRE: 2』最大の問題はタイラントがタイプライター部屋に侵入しない事だというのはツイッターで以前も話したが、本作でタイラントに相当する綾乃はセーブポイントまでしっかり踏み込んでくる。しかし『ALIEN: Isolation』のセーブポイントほどシビアでなく、(有限の)救済措置が用意されている。抜群の調整だと思う。このセーブポイントをリアリティに寄せる一工夫が『RE: 2』にも欲しかったと思えるほどに。つまり、現実とゲームの継ぎ目である「セーブポイント」は、セーブを行うというゲームから離脱した趣旨を持つ性質上、安全地帯を約束することがフェアネスである、という考えがプレイヤー側、制作側、双方において多数派である(と考えられる)が、同時にそれは没入感を阻害する要素でもある。そうした暗黙の了解をフェアネスを維持したまま破壊し、新たなゲームの面白さを開拓することは大変重要で、HUDを画面内の装備に落とし込み、インベントリ確認、選択時にゲームが一時停止されない等の演出によって没入感、緊迫感を高めた『DEADSPACE』の様に、面白いだけのゲームと凄いゲームの違いは、そうした工夫によってもたらされる。余談だが、『ALIEN: Isolation』はその点シビアで、セーブポイント≠安全となっている(安全である状況とそうでない状況がシームレスに切り替わる)。

 本作はいわゆる小ネタも本筋を邪魔しない程度に充実しており、そこからは『バイオハザード』『サイレン』『サイレントヒル』といった2000年前後のホラーゲームの影響が感じられる(筆者は『零』シリーズをプレイしていない)。鬼役の追跡を逃れながら探索し、アイテム・テキストから謎に迫り、鍵や隠し通路を発見して脱出を計る。というゲームのフォーマットは前述の『バイオハザード』『ALIEN: Isolation』の他、『クロックタワー』にも通じる。ボリュームは少ないが、これら名作が比較対象になるほど快適な操作性とゲームプレイはとても2人で制作したと思えないクオリティだった。

 欠点としては、脚本の構成が明らかに"古い"。ホラーにおいては10年代の時点で既にフェミニズムの観点を持つ作品は多くあり、例えば映画では『The VVitch』等、女性を恐怖のアイコンとして有徴化してきた歴史に対して自覚を促す作品が多くある。日本にも『ぼぎわんが、来る』にそうした点が見られるが、残念ながら映画版『来る』ではフェミニズム要素が相当脱色されている。ここでは2010年代以降の、そうしたフェミニズムの視点を有するホラーを現代ホラーと定義づけるが、『ウツロマユ』にはそうした現代ホラーに対する知見が感じられない。

 例えば特殊エンディングの1つであるUFOエンドは、文脈的に『サイレントヒル』オマージュ以上の意味は無いとは思うが、そういう無邪気さはもう現代では危うい。オカルトが陰謀論、差別、排外主義と親和性が高く、利用され得ることを知らなければならない。そうしたリスクについて、本作の制作が無自覚だろうというのは、脚本、構成、テキストから十分にうかがえた。もちろんUFOエンドが即座に利用されるというものではないが、2023年にUFOエンドを無邪気に楽しむということ自体が、既に無知で無責任なマジョリティの特権的行いであり、そうした古さが予定調和から抜け出せなかったシナリオの弱さであると言える。つまり、こうした知識は作品のクオリティに影響するということを強く自覚することが、クリエイターには求められていると思う。なぜ女性が化生の対象として選ばれる、描かれる(有徴化される)のか。日本三大怪談をはじめ、女性の幽霊画の多さだとか、ホラーというジャンルにおいては(もちろんそれに限らないが)フェミニズムを知らないままではそれらについて答えを得られず、表層を撫ぜることしかできない。

 『ウツロマユ』は、制作が影響を受けてきた作品について構造的な理解は十分以上にしていると思う。実際にプレイしてとても面白かった。しかし、それらの作品を受けて進歩してきたホラーは既に多くあり、ホラーを描く上での技術だけではなく、読解力も多く養われてきている。本作に欠けている点は、そうしたホラーというジャンルに対する理解であり、それが進まなければ、単に懐古主義的で、自身が影響を受けた名作にすら批評性を持たないゲームとなってしまう。

 

加筆

 UFOエンドは金色姫=宇宙人であり、これは「古代人宇宙飛行士説」という陰謀論に基づく。古代人宇宙飛行士説とは、高度な技術力、あるいはそれを示唆する遺物を指して、当時の人類に不可能なものであるから、宇宙人がもたらしたものに違いないという論建てである。「イースター島のモアイ」や「マヤ文明の浮彫り画」などがあげられるが、これは「当時その土地の人間に(我々の様な)技術力は無かったに違いない」という差別が根底にある。この"我々"とはキリスト教圏の人間を指す。すなわち、こうした思想は容易に植民地主義や排外主義、オリエンタリズム等と結びつく。現代日本でも既にそうした価値観は内面化されており、海外フィクションにおける日本の描写を「外国人が描くインチキ日本が好き」などと無邪気に消費されてしまっている。リスペクトと理解に欠けたままに消費される「異文化」としての日本は、「眼鏡に出っ歯、糸目で小柄なアジア人」というステロタイプな偏見と同じであるにも関わらず、当事者の日本人が喜んで受け入れてしまっている。映画『ゲットアウト』の黒人差別が理解できない人の様に、差別への理解が浅く、好意に糊塗された差別を認識できない。
 ツイッター等では日々、歴史修正主義者、トランスヘイター、暇アノン等によるデマが撒かれ、それらが繰り返し再生産されていることからもうかがえるように、現代ではこうしたオカルトをかつてのように気楽に消費することは難しい。しかし、本作にはオカルト消費の危険性を承知した上でなお、安心して楽しめるような、そうしたエクスキューズが存在しない。UFOエンド自体がギャグ調であるということは、これが『ウツロマユ』の正史ではないということしか保証せず、現代におけるオカルトの危険性について何ら言及、示唆されることは無い。
 筆者もオカルトを娯楽消費してきた(宇宙人解剖特番とか大好きだった)。しかし、繰り返しになるが現代でオカルトを扱うにはリスクがあり(あるいはようやくそのリスクが可視化されるようになった)、作品自体からそれについての批評性が発せられなければ、作品に没入していたプレイヤーは素面に戻って言及しなくてはならない。この制作の鈍感さのツケ(現実社会の一員としての責任)を払うために、プレイヤーがフォローに迫られ、作品を遊ぶ前にちょっとここに気を付けて欲しいと、待ったをかけなければならない。物語への没入、全力で楽しむということが、ゲームとしての面白さ、プレイングの快適さ、UI、HUD、システム以外の面で阻害されている、ということが残念でならない。

 こうした鈍感さ甘さはアイテムとして入手できる手記のテキストにも表れている。それらが積み重なることで本作の評価が固まって行き、例えば絹や佐一の行動で一部ステロタイプと異なるように見える面も、意図したものではなく偶然によるものだと判断がついてしまう。そうした作為に欠ける脚本から制作の価値規範が透けて見えると、一部システムにおける革新的なアイデアが見られても、部分的な評価にとどまってしまう。

 

 

 

 

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